伯父が亡くなった。

母の兄、ワタクシ的には伯父になる。

トマトを作る職人肌の農家であった。

父と同級生でもある。

優しい伯父であった。

だからおじさんとは呼んだ事はない。

いつも「末さん」そう呼んでいた。
いつもニコニコしながら「茣蓙はどぎゃんかい??」そう言っていた。


母方の血筋は器用で手際がよい^^

伯父もトマト作りはピカイチであった。


ずいぶん前、藺草が低迷してた頃、両親も先行き不安でワタクシにハウスのへの転換を考えていた。

指南役は伯父だった。


話も聴きに行った。



「俺に任せろ」


そんな会話をしたと思う。




けど・・・ヤメた。



オレには藺草でやり残した事いっぱいあったし!
それは今でも後悔してないし、誇りに思っている。



伯父はよく藺草収穫の際は、必ずおばちゃんと一緒に手伝いにやってきた。
昔は藺草も作っていたんでその善し悪しも解るし、藺草を見るのも好きだったと思う。

母は「よかよか。。気持ちだけ貰っておく^^」
そう言ってた。
しかし、その気持ちが嬉しかった。

手伝いは、今年まで続いた。(見るだけだけどね^^)

そして藺草を見る目も厳しかった。

近年は「やすとが作る藺草はよかぁ〜〜いろいろ見かけるバッテン他にはなか!!」

「やすとは畑野家ではなくこっちの血筋ばい^^」

母と笑いながら話していたと言う。
病気が見つかりその経過報告と称して、母に会いにやってきた。だって兄弟だもんね。
母から言わせると兄というより双子??同志みたいな感じだった様に見えた。


病院が八代だったんで、入院中も何回かお見舞いに行った。


病院の外から見える稲を見ると「あれは肥料けが多い、とか。ありゃ〜取れん(収穫量が少ない)」とか言っていた。
気になるんだね。


ワタクシが品評会の事も気かけていて「今年はやすとはどぎゃんだったろか??」
母に言っていたとか。。


今年は取りたかったな。。
伯父の喜ぶ姿を見せたかった。。

久しぶりの屈辱を味わって残念だったけど伯父は「いつもかつも取れんたい^^次頑張ればよか^^」
そう言っていた。


先々月にリフトを借りた。それがワタクシへの置き土産だ。

「いるとだろ??だけん誰にも売らなかった」
ワタクシに譲るつもりだったのだ!

死期が迫っていたのを感じていたんだと思う。




末さん!百姓の魂というか、そういう思いはオレが引き継ぐけん!



やすらかに眠ってね。

あっそうそうトラクターも貰うけん(笑